THERAPIST

セラピスト紹介

  • 阿部佳代子(あべ かよこ)
  • 1978年5月3日生まれ
  • おうし座
  • AB型
  • 好きなこと好きなもの
    マイペース、マッサージ、焼肉、生ビール、チンアナゴ、ベルマーク集め、お裁縫、黒、笑顔、お掃除、ガーベラ、ディーンフジオカ
  • 好きなアロマ
    サンダルウッド(日本では白檀の香りとして昔から儀式や瞑想のお香に使用され、リラックス効果の高い香りです)
生まれてから今までの経緯

<幼少期>

昭和53年5月3日、高崎市で両親と4才上の兄のもとに産まれました。

親せきや幼馴染も男の子ばかりだったので、祖父の作ってくれた竹馬や割りばしで作った鉄砲などで遊び、アクティブに育ちました。

割りばし鉄砲が怖くてキャーキャー言いながら逃げることも楽しかったな♪七五三の時、着物にテンションが上がり、はしゃいで神社の階段をうさぎ跳び。
ダイナミックにドスーンと転んで大泣き!!今でもおでこにぽっこり残るたんこぶは、その時に出来たものです(笑)

<中学生>

好きな時間は掃除の時間でした。

特に玄関とトイレ掃除が好きで、冬に冷えた雑巾を絞り玄関そうじをしている時、先生に「えらいな」と褒められた事が嬉しくて今でも覚えています。

中学に上がると自律神経失調症も落ち着き、アクティブな私が復活!!ロカビリーのチームに参加したり、バンドにはまりライブハウスに行ったりと、勉強より遊びに夢中!大人になって中学時代の先生に再開した時に「ずっと心配していた」と言われてしまいました(笑)。

<高校卒業後>

子どもの頃、授業参観で若いお母さんが来ているお友達が羨ましく、「私は絶対子供は早く産む!!」と決めており、22歳で結婚・出産。4000g近いとても大きな子どもが産まれました。

しかし、重度のアトピーがあり、かゆみで夜もあまり眠れず、私自身も寝不足と不安で心身ともに追い込まれていました。

ワラにもすがる思いで肌に良いと言われることはすぐに試し、病院もあちこち通い、食べ物にも気を付け、「少しでも普通の肌に近づけたい。」と必死でした。お出かけや、ママ友との集まりの時も、ただれてむくんだ顔の子どもを連れていくことに抵抗を感じていました。

さらに追い打ちをかけるような出来事がありました。
二人目が生まれてすぐに、夫の浮気が発覚したのです。
「二人目も生まれて、長男のアトピーもある。マイホームも建てたのに、、、。」と絶望しました。「私が大変な時にどうして、、、。」と、夫の事が人として信じられなくなりすぐに離婚。二人の子供を連れて実家に戻りました。

下の子は小児喘息になり、体調管理に気を付けてもすぐにゼーゼーしてしまい、病院通いも多く、子育てと仕事の両立にとにかく疲れ果てていました。

<独立の経緯>

同じエステサロンで働いていた同僚が、マタニティに特化したリラクゼーションサロンを立ち上げました。そこを手伝ってほしいと言われ、女性がリラックス出来るということで思いにも共感し一緒に働いてきました。

マタニティに特化していると言っても一般のお客様もご来店されるので、いろんなお客様の身体に触れました。エステサロンではリラクゼーションというよりも美を求める方を対象としていたので、リラクセーションを求めるお客様のお悩みを聞くのはほぼ初めて。仕事や家庭、人間関係とそれぞれが様々なお悩みをお持ちでした。

頭をフル回転させて凝り固まった頭皮、PCに向かいカチカチの肩、PCやスマホで疲れた眼、立ち仕事でむくむ足。そして疲れた心。

疲弊していたころの私が頭によみがえりました。「あの頃に私と経緯は違えど同じ辛さを感じている。なんとか出来ないだろうか。」
働いているサロンはマタニティ専門ではなくてもマタニティ特化サロン。

「空間作りや施術メニュー。もっと私の解決したい問題にフォーカスしたサロンを作りたい!」
そう強く思い、スタッフ関係も良く、良い職場でしたが独立を決意しました。

<小学生>

小学校に上がり、集団行動がストレスで、朝礼や集会などで貧血を起こし、よく倒れていました。

あまりにもよく倒れるので、保健の先生に脳の検査を勧められ、病院を受診。不安でいっぱいだったのもあり、病院でも倒れてしまいました。

結果として診断は「自律神経失調症」。子どもということもあり、特に治療はせずに無理せず付き合っていきましょうということになりました。

アクティブな遊びが好きだったのに、診断後は、「また倒れたら嫌だな、、」との不安からお家で遊ぶことが多くなり、またストレスがたまる日々。

「外で元気に遊びたいな、、、」と思っていましたが、そこはさすが子ども!!お家遊びでの楽しさも見つけ、お人形の髪の毛を切ったり、友人の髪の毛をセットしたり、、、将来の夢は美容師さんになりました!

<高校生>

バスを乗り継ぎ必死に登校。

当時の流行はギャルとアムラー。ルーズソックスに細眉と、私ももれなく流行に乗りルンルンの毎日。

美にも目覚めた頃、母に連れられフェイシャルエステに行くと、お客さんもお店の人も眩しいほどの笑顔で、「凄い!こんなキラキラした世界があるんだ!!」ということを知りました。

小さい頃の夢は美容師さんでしたが、私も女性をキレイにするエステティシャンになりたいと思うようになりました。

<アロマとの出会い>

しかし、子どもの成長と共に病院通いも落ち着き、「今度こそ自分の夢を叶えたい!」と、夢だったエステサロンで働くことになりました。

女性を綺麗に、痩せたいという願いを叶えるためのエステサロンでは結果も出せ、やりがいもあり、信頼できる店長とも出会い、毎日が充実していました。

しかし、成果を残すにつれ「売り上げ要員」としてのポジションに立たされ、責任感の強い私は毎月100万円の目標クリアに頑張っていました。そんな中、ふと気づくと笑えていない自分がいました。そこには、女性を綺麗にしたいという想いよりも「売り上げをあげなければ!!」と目的が変わっている自分がいたのです。
どんなに頑張っても笑顔が作れず、家の事も疎かになり、肩こり・頭痛も酷い毎日。初心に戻るために自分もお客様体験をしようと初めてアロマを使った全身トリートメントを受けてみました。
香りを感じた瞬間、ふわーっと身体の中の何かが出ていくのがわかりました。「なんて心地いいんだろう。安心する。」笑顔が戻った瞬間でした。

アロマとの出会いで、自分自身が心も身体も軽くなる体験をし、『アロマ+トリートメント』の力で、私と同じような疲れや悩みをもった人に同じ体験をして欲しい、同じように感じて欲しいと思い、アロマの勉強をしエステティシャンからアロマセラピストになりました。

<リラクゼーションサロン「リゾネート」をオープン>

・心身ともに疲れているお客様に、体内リズムを整え明日からまた生き生きと人生を楽しんでもらえるようになって欲しい

・朝の部屋と夜の部屋で空間にこだわり、昼も夜も無いような現代の暮らしで疲れた心身を癒し整えて欲しい

という想いのもと、リラクゼーションサロン「リゾネート」をオープンをしました。

<幼少期>
昭和53年5月3日、高崎市で両親と4才上の兄のもとに産まれました。

親せきや幼馴染も男の子ばかりだったので、祖父の作ってくれた竹馬や割りばしで作った鉄砲などで遊び、アクティブに育ちました。

割りばし鉄砲が怖くてキャーキャー言いながら逃げることも楽しかったな♪七五三の時、着物にテンションが上がり、はしゃいで神社の階段をうさぎ跳び。

ダイナミックにドスーンと転んで大泣き!!今でもおでこにぽっこり残るたんこぶは、その時に出来たものです(笑)

<小学生>
小学校に上がり、集団行動がストレスで、朝礼や集会などで貧血を起こし、よく倒れていました。

あまりにもよく倒れるので、保健の先生に脳の検査を勧められ、病院を受診。不安でいっぱいだったのもあり、病院でも倒れてしまいました。

結果として診断は「自律神経失調症」。子どもということもあり、特に治療はせずに無理せず付き合っていきましょうということになりました。

アクティブな遊びが好きだったのに、診断後は、「また倒れたら嫌だな、、」との不安からお家で遊ぶことが多くなり、またストレスがたまる日々。「外で元気に遊びたいな、、、」と思っていましたが、そこはさすが子ども!!お家遊びでの楽しさも見つけ、お人形の髪の毛を切ったり、友人の髪の毛をセットしたり、、、将来の夢は美容師さんになりました!

<中学生>
好きな時間は掃除の時間でした。

特に玄関とトイレ掃除が好きで、冬に冷えた雑巾を絞り玄関そうじをしている時、先生に「えらいな」と褒められた事が嬉しくて今でも覚えています。

中学に上がると自律神経失調症も落ち着き、アクティブな私が復活!!ロカビリーのチームに参加したり、バンドにはまりライブハウスに行ったりと、勉強より遊びに夢中!大人になって中学時代の先生に再開した時に「ずっと心配していた」と言われてしまいました(笑)。

<高校生>
バスを乗り継ぎ必死に登校。

当時の流行はギャルとアムラー。ルーズソックスに細眉と、私ももれなく流行に乗りルンルンの毎日。

美にも目覚めた頃、母に連れられフェイシャルエステに行くと、お客さんもお店の人も眩しいほどの笑顔で、「凄い!こんなキラキラした世界があるんだ!!」ということを知りました。

小さい頃の夢は美容師さんでしたが、私も女性をキレイにするエステティシャンになりたいと思うようになりました。

<高校卒業後>
子どもの頃、授業参観で若いお母さんが来ているお友達が羨ましく、「私は絶対子供は早く産む!!」と決めており、22歳で結婚・出産。4000g近いとても大きな子どもが産まれました。

しかし、重度のアトピーがあり、かゆみで夜もあまり眠れず、私自身も寝不足と不安で心身ともに追い込まれていました。ワラにもすがる思いで肌に良いと言われることはすぐに試し、病院もあちこち通い、食べ物にも気を付け、「少しでも普通の肌に近づけたい。」と必死でした。

お出かけや、ママ友との集まりの時も、ただれてむくんだ顔の子どもを連れていくことに抵抗を感じていました。

さらに追い打ちをかけるような出来事がありました。
二人目が生まれてすぐに、夫の浮気が発覚したのです。「二人目も生まれて、長男のアトピーもある。マイホームも建てたのに、、、。」と絶望しました。「私が大変な時にどうして、、、。」と、夫の事が人として信じられなくなりすぐに離婚。二人の子供を連れて実家に戻りました。

下の子は小児喘息になり、体調管理に気を付けてもすぐにゼーゼーしてしまい、病院通いも多く、子育てと仕事の両立にとにかく疲れ果てていました。

<アロマとの出会い>
しかし、子どもの成長と共に病院通いも落ち着き、「今度こそ自分の夢を叶えたい!」と、夢だったエステサロンで働くことになりました。

女性を綺麗に、痩せたいという願いを叶えるためのエステサロンでは結果も出せ、やりがいもあり、信頼できる店長とも出会い、毎日が充実していました。

しかし、成果を残すにつれ「売り上げ要員」としてのポジションに立たされ、責任感の強い私は毎月100万円の目標クリアに頑張っていました。そんな中、ふと気づくと笑えていない自分がいました。

そこには、女性を綺麗にしたいという想いよりも「売り上げをあげなければ!!」と目的が変わっている自分がいたのです。

どんなに頑張っても笑顔が作れず、家の事も疎かになり、肩こり・頭痛も酷い毎日。初心に戻るために自分もお客様体験をしようと初めてアロマを使った全身トリートメントを受けてみました。

香りを感じた瞬間、ふわーっと身体の中の何かが出ていくのがわかりました。「なんて心地いいんだろう。安心する。」笑顔が戻った瞬間でした。

アロマとの出会いで、自分自身が心も身体も軽くなる体験をし、『アロマ+トリートメント』の力で、私と同じような疲れや悩みをもった人に同じ体験をして欲しい、同じように感じて欲しいと思い、アロマの勉強をしエステティシャンからアロマセラピストになりました。

<独立の経緯>
同じエステサロンで働いていた同僚が、マタニティに特化したリラクゼーションサロンを立ち上げました。

そこを手伝ってほしいと言われ、女性がリラックス出来るということで思いにも共感し一緒に働いてきました。マタニティに特化していると言っても一般のお客様もご来店されるので、いろんなお客様の身体に触れました。

エステサロンではリラクゼーションというよりも美を求める方を対象としていたので、リラクセーションを求めるお客様のお悩みを聞くのはほぼ初めて。仕事や家庭、人間関係とそれぞれが様々なお悩みをお持ちでした。頭をフル回転させて凝り固まった頭皮、PCに向かいカチカチの肩、PCやスマホで疲れた眼、立ち仕事でむくむ足。そして疲れた心。

疲弊していたころの私が頭によみがえりました。「あの頃に私と経緯は違えど同じ辛さを感じている。なんとか出来ないだろうか。」
働いているサロンはマタニティ専門ではなくてもマタニティ特化サロン。

「空間作りや施術メニュー。もっと私の解決したい問題にフォーカスしたサロンを作りたい!」
そう強く思い、スタッフ関係も良く、良い職場でしたが独立を決意しました。

<リラクゼーションサロン「リゾネート」をオープン>

・心身ともに疲れているお客様に、体内リズムを整え明日からまた生き生きと人生を楽しんでもらえるようになって欲しい

・朝の部屋と夜の部屋で空間にこだわり、昼も夜も無いような現代の暮らしで疲れた心身を癒し整えて欲しい

という想いのもと、リラクゼーションサロン「リゾネート」をオープンをしました。